更新が滞りました。
当事者で良くしていただいている先輩が、当事者を卒業されました。
今後、お子さん達との面会の拡充は求めていくものの定期的に会えることとなり、
何よりも、彼女ができて、幸せそのもの。
発言される言葉も自信に満ち溢れています。
当事者という括りからの卒業、非常に喜ばしく、僕も心から嬉しく思います。
いわゆる当事者とは、異常な存在です。
連れ去りや引き離しがなければ、世にない存在だからです。
理想は、当事者が一人もいなくなることです。今後も現れないことです。
色々な理由や状況、環境がありますが、一日も早くこの問題が解決し、
一人でも多くの卒業生がでることを願っています。
さて、自分はどうかと置き換えて考えてみると。
以前、再婚のネタで覚書しましたが・・・
僕は、息子が生まれた時に、自分の人生すべてを捧げると誓いました。
僕の人生は、すでに僕のものではありません。
だから、僕自身が自分自身の人生を謳歌することはあり得ません。
では、再婚までいかなくても、彼女ができたら?
確実に息子のことを考える時間は減るでしょう。
息子の為に割いていた時間も減るでしょう。
息子はパパに捨てられたと思うこともあるかもしれません。
またその彼女に対しても失礼です。
彼女は、息子に焼きもちを焼くかもしれません。
その狭間にいる自分は、常に葛藤に悩まされるのです。
先輩の幸せな姿を見ていると、羨ましくも思い、
当事者からは卒業したいという気持ちにも駆られます。
その一方で、同じくらい、いやそれ以上に息子のことが思い出されるのです。
器用なタイプでない僕には、まだ心の整理がついてません。
その整合性の答えも見えていません。
しばらくは、当事者を卒業できなそうです。