思い出~寝かしつけ

こんばんわ、泣きパパです。
皆さんにおかれましては、いかがお過ごしでしょうか。

いつもは、のび太くんの次くらいに寝つきがいいと思っている僕ですが、
昨晩ちょうど、珍しく目が冴えまして、息子とのことが思い出されました。

それで、今日は思い出話です。

下記、息子に宛てたメッセージです。
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すーくん、ママの言うことをちゃんと聞いて、良い子にしてるかな?
好き嫌いなくご飯を食べてるかい?

今日は、君がなかなか寝なかった時の話をしよう。

君が生まれて、1歳にもならないくらいの頃だな。
君は昼間にしっかり寝ているから、夜はピンピンしちゃって(笑

この頃は、昼間の君が寝ている間に家事をしているから、頑張り屋のママもまいっちゃって。
パパが出来るだけ早く帰宅して、寝かせつけの役目をしていたんだ。

まだ首がすわってなくて、君の小さな体を、
股の下から手を通して、腕の上に乗せる形で抱いていた。
君はしばらくは、この抱き方が気に入っていたよ。
そのうち、この抱き方では、足で蹴りだしたので、抱き方を変えた話はまた今度にしよう。

君を寝かせつけるのに、子守唄として、パパがよく歌ったのが、
坊や~よい子だねんねしな♪のまんが日本昔話のオープニングの歌なんだ。

すーちゃんはまんが日本昔話知らないと思うけど(笑
ちょうどその時期、DVD発売に合わせて、再放送していたから、録画して見せたんだけど、
覚えているかな?

子守唄として、色々な歌を歌ってみたけど、
しっくりこなかったのか、君が全然寝なかったんだ。

まんが日本昔話の歌は、比較的早く寝てくれて(笑
パパは何千回歌ったかわからないくらいだよ。

2番3番の歌詞は知らなかったから、1番ばかりを繰り返し繰り返しリピートして。
隣にいたママは、狂ったように同じ歌を歌うパパに疲れていたのかもしれない。

それでも、もう歌詞は忘れちゃったな。
また君と寝れる時が来たら、歌ってみよう。

思い出してくれるかもしれないな。

パパ
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すみません、すでに目頭がものすごく熱くなってます。
今日はこの辺にしたいと思います。

泣きパパ

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君にできること

君の為にできること。
よく考えている。
一日中考えている。

生きること。
健康でいること。
君の前でかっこいいパパでいること。
その為に、心も体も鍛えること。

君の幸せを願うこと。
君の幸せの為にできること。

会えなくても、君の為にもっともっとできることがあると思うんだ。

パパ

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はじめまして その2

長くなったので、分けました。
はじめましての続きです。

そんな灰色な生活が続き、本来は前向きな僕が、非常に悲観的になったのは、
僕の人生の中で、失われた数か月と呼んでも過言ではありません。
ここ数か月の記憶が不透明で、何をしていたかも思い出せません。

妻と息子が出て行ってから、一年の期間、
離婚協議で会った妻から、息子の成長の話を聞かされました。

おむつが取れたこと、意味はなしていないが言葉を多く話し始めたこと、
自分の名前を言えるようになったこと。

彼の成長を聞いたボクの全身を寂寥感が襲いました。
その成長を見守れない状況、そばにいてあげられない自分に、
耐え難い脱力感を覚えました。

そうです。
息子は僕の知らないところで、成長しているのです。

自分だけ腐ってていいのか?
泣き暮らしていていいのか?
自分は成長しなくていいのか?

妻とは、夫婦関係は解消されますが、彼とは永遠に親子関係です。
今は会えてませんが、会える機会が来た時、胸は張れるのか?

僕も人ですから、気持ちの整理はそう簡単にはつきません。

年に6回しか会えないですが、どんどん成長していく息子に対して、
父親が腐っていては、会う資格もありません。

そう考えました。
今の本当の気持ちとしては、そう自分を納得させたと言った方が適切かもしれません。

彼に会えない間にできることはないか?
そう考え、一つ導き出したのが、このブログです。

何故、ブログなのかは、またの機会にお話しできればと思います。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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はじめまして

はじめまして、通称泣きパパと言います。

涙腺がとても弱いので、ニックネームを泣きパパとしました。
感動で最初に泣いたのは、幼少の頃、「一休さん」だったか、
「あばれはっちゃく」だったかの最終回です。
これだけで年齢がばれますね。

閑話休題

この度、妻と離婚をします。
昨年から、離婚協議中で、離婚協議書の内容を、行政書士の先生に相談しつつ、
作成している最中です。
離婚の焦点でもある息子の親権は、妻側に。

これはある程度、覚悟していたのですが、協議の中で、
妻から提示された息子との面会の条件は、
二か月に一回、つまり年6回というものでした。

子煩悩を通り越して、子供が全てであった僕には、非常につらく、
生きていく意味さえも、自分自身に問う程の状況でした。

交渉を試みましたが、息子のことを一番に考えればわかるはずと
取りつく島もありませんでした。
彼女なりの息子への精一杯の愛情だと思います。
交渉で、クリスマスと誕生日に、
彼女の承諾の元でプレゼントを渡すことを認めてくれたのは、
彼女の僕への最後の優しさ、いや憐みだと思います。

無味簡素、いや灰色な生活は、僕を無気力にさせ、そのつらさから、
毎晩のアルコールの量も増やしました。

毎日続けていた運動や勉強、勿論、仕事への意欲も奪い、何も手に付かない状態。
生活環境も荒れに荒れ、仕事して帰宅して寝る、起きて仕事。

心のないロボットのような生活でした。
いや、感情や気持ちを持つと、一気にダメになりそうな自分がいるので、
あえてそうしていたのかもしれません。

生きていくこともつらく、生きる意味を見出せない日々でした。

本当に灰色な生活でした。

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